【社会観】思想の時代

潮目が変わる時
生成AIの登場によって、いよいよ「信じる」基準を見直すときにきている。
広告のキャッチコピー、企業採用の求人文章、求職者の職務経歴書、企業に対するプレゼンテーション、システムのプログラムコード・・・
街で目にするこれらのアウトプット。あれがどこぞの優秀な広告マン、人材採用のプロ、一流コンサルタント、GAFAMのトップエンジニアが何日も頭を悩ませて徹夜を重ねて作成しているものだと、いまだに信じている人はもういないだろう。
生成AIは今や瞬時に精度の高いアウトプットを量産する。それはいつの間にか、人間の能力のそれを優に超えるレベルに達し、思っていた以上に僕らのすぐ身の回りにまで迫ってきている、というややホラーな話をしようと思う。
フリーランスの案件争奪戦
僕のようにコンサルタントとして会社員をしていると、フリーランスに仕事を個別に依頼する機会はあまりない。そういう仕事も中にはあるんだろうが、僕にはその機会がこれまでなかった。
しかしこの度、フリーランスの力を借りる必要が出てきたこともあり、いろいろなプラットフォームにアカウントを登録し、実際にいくつか案件を投稿してみた。詳細は割愛するが、ざっくり言えば業務を自動化したいという要望で、それなりの業務知識やシステム構築経験、課題解決力がないと具体的な提案をすること自体が難しい領域だと、思いながら物は試しと投稿した。
しかし結果はというと、一晩で20件を超える提案が集まったのである。おいおい、嘘だろ・・っと思わず笑った。
しかも一つ一つが練り込まれた提案になっているのである。
御社の目指す姿は〜〜だと理解しております。
私は〜〜という実績とスキルを持っており、御社の要望を実現する自信があります。
具体的には、〜〜というツールを〜〜という機能を使って〜〜することが肝要だと考えています。
一方で、XXは課題になるかと存じますので、〇〇という方法で回避することを考えています。
つきましては、それぞれXX工程ではXX人日、〇〇工程では〇〇人日・・・で合計◾️◾️万円程と想定しております。
アフターフォローも1ヶ月間密にさせていただきますので、ご検討をお願い致します。云々
僕が投稿した要望はごくわずかで、しかも概念的なふわっとした情報しか出していない。しかしその情報だけを頼りに、ここまで理路整然とこちらが欲している情報を流れるような文章で、しかも具体的にポイントを押さえながら提案してくるのである。
「おお、すごい。相当優秀な方なんだろうな。この人にお願いしようかな。ただ、ちょっと事前にご挨拶も兼ねて認識合わせをしておいた方がいいかな。」
ということで、ご本人に丁寧に提案のお礼と共に、事前にオンライン会議で内容について擦り合わせたい旨をメッセージでお伝えし、時間を指定し実際にオンライン会議で話す。
僕「もしもし」
フリー「もしもし」
僕「提案をいただきありがとうございました。現時点で、仕事をお願いする際に不明点はないでしょうか?」
フリー「あ・・、えー・・・」
僕「もしもし、僕の声、聞こえてますでしょうか」
フリー「あ・・、はい・・・」
僕「もう一度言いますね。先ほどは、ご提案をいただきありがとうございました。現時点で、仕事をお願いする際に不明点はないでしょうか?」
フリー「・・え・・・、あ・・チャットはOK・・・」
ここで、ようやく何が起きていたのかを理解した。ここからは推測・仮説も含む。
オンライン会議で少し話したところ、話が途切れ途切れで初めはネットワークの問題だと思っていたが、何度か会話を続けるうちに口頭での日本語コミュニケーションが難しい様子だった。チャットではコミュニケーションできるということだが、それはつまり、提案者は外国人だったということだと理解した。
しかし、ポイントはそこではない。日本語が拙い人間が、あの高度な提案書をこの短期間のうちに作成することができるだろうか。おそらく一流コンサルタントでも難しい。少なくとも人間が文章を書いていればいくつか穴ができるはずである。これまで数多コンサルタントが作成した資料を見てきているので、その穴を見つけられるくらいの経験は僕も積んでいる。しかし、さしたる穴は見つからなかったどころか、僕の期待を超えてきているのである。
「ああ、やられた。これ生成AIか。もうこんな使い方されてるのか・・・」
ようやく自分が置かれている立場を理解した。生成AIを駆使し、すでにプロンプトが巧みに組まれているところに、僕の要望文章を読み込ませて提案文章を生成し、即座に提案をしてきたということであろう。つまり、提案者自身にそれだけの経験や知見、スキルが無い可能性が十分にあるということである。だって、AIが世界中の情報を集めてそれっぽく文章を生成してくれているのだから。それをまだ何も知らない純真な心を持った僕が飛び込んで、たくさん提案をもらって驚き、感動しているのである。どこからどう見ても、まさにカモである。
言われてみると、提案者の実績を見てみると、確かに怪しい。受注金額が1000~3000円とやけに安い金額の実績が並んでいたり、案件後の案件依頼者とのコメントのやり取りがやけに単調だったり。
フリーランスプラットフォームの窓口にも電話してみた。契約金の支払いは納品・検収後ですよね?と聞くと、契約金額は案件開始前にプラットフォーム側に預けることになっている、と回答された。ふーん、なるほど、開始前なのねと。今度は「預ける」という曖昧な表現が気になりツッコんだが、なんかはぐらかされた回答しか返ってこない。仮に納得のいかないものが納品された場合、当事者同士の合意があれば返金されるとのこと。まぁ、そんな合意はなかなかできないだろうね。もうここまで聞いた時点で、芳ばしい事件の香りしかしなかった。笑
本件を振り返っての考察
ともあれ、行動すると色々知らなかった世界、実態がわかって本当に勉強になる。
フリーランスの案件争奪現場がこんなことになっていること(※仮説含む)にも驚いたが、今回のようなことはあらゆるWeb上の世界でも起きているのだろう。それが冒頭に書いた「広告のキャッチコピー〜」のくだりだ。
こうなってくると、もはや表面的なやり取りだけでは相手が人間なのかAIなのか判別することは不可能である。したがって、今後は実際に生身の人間とオンラインや対面で会話してみて、本物かどうかを見極めなければならないということになる。しかし、それも相手が本物であるかを見極める目を持っていなければ自分の身を守ることはできない。相手が"俳優"であったり、雇われている"傭兵"である可能性もあるからだ。
こうなると、困った時に助けてもらう有効な手段は、最終的に"信頼できる人に頼る"ことにどうしてもなってくる。しかし、それも難題だ。今度はどうやってその信頼できる人を見極めるのか、という永遠のループに入る笑
ああ、こういうことをぐるぐる考えなければならないとはめんどくさい時代になったものだ、とは一瞬思うのだが、実はコトは回り回ってシンプルになった。原点回帰である。
結局、あなたは普段どういう人間を信頼していますか?と聞かれているに過ぎない。そして、その信頼できる人にこれまで以上に頼り、頼られながら一緒に頑張っていこう、だけどその分、人からの信頼を失うとこれまで以上に立ち行かなくなるよ、だから目の前の人をちゃんと大切にしようね、そういう人間が主体となる時代が改めてやってくるんだろうと思う。
結果を出す順番
特に日本において、何かを"信じる"ことは危ないことだという雰囲気を感じることがある。
何かに没頭している人、強い意思や思いを持って突き進む人を、"意識高い系"、"思想強い"、"宗教っぽい"と揶揄し遠ざけようとする雰囲気を全体に感じる。
これは少なからず、日本として過去にトラウマを抱えていることに起因しているからだろうとは思う。第二次世界大戦やサリン事件など、宗教と力が結びつくことで、僕ら日本人はろくな経験をしていない。コントロールできない不気味さ、盲目性ゆえに強烈な個性が登場すればあいつは危ないと警戒感が出るし、引き摺り下ろそうとするムーブが日本のあちこちで起こる。その結果、誰もリードしない国が出来上がった。
しかし、本当にこのままでいいのだろうか。
言わずもがな、強く信じる気持ちがなければ、大きな結果を得ることはできない。
これは言い切る。
なぜなら、結果とはプロセスの前に置くものであり、その結果を強烈に信じた者だけが、それを実現するプロセスを歩めるからである。
もう一度言う。
「結果は後からついてくる」とは一般的によく聞く言葉だが実態は違う。結果は前に置くのである。結果を先に決め、そしてその結果をまさに信じて実現させるために必要な行動を愚直に継続することで結果を出すのである。
リーダーとは、まだ見ぬ結果を信じて、ひとり突き進まなければならないのだから、そもそも思想が強いだとか、宗教っぽいとか言われるのは当たり前のことなのである。何かをリードすると言うことは自分で決めた結果を信じて、周りを感化して動かして巻き込んでいくということであり、それはある側面から見れば信仰そのものであろう。逆にそうでなければリーダーたりえないし、誰も感化できないし、何も成し遂げることはできない。
それを"勇気"と呼ぶ
最後にまとめる。
2025年、いよいよ生成AIが進歩しあらゆるビジネスシーンに溶け込みつつある。その結果、表面上のやり取りだけでは人間とAIの判別ができない世界線に入った。一歩踏み込んで相手が本物なのか、信頼に足りうる人物なのかを見極める目が必要になってきている。そうすると今度は相手が信頼できる人間なのか、それをどう判断すればよいのかという原始的な問題に行き着く。日本は歴史的に振り返っても、信じることに対する警戒心が根強い文化があるように思う。そして信じると言っている時点で、そこに正解がないということも同時に意味していることに気づくと、日本人が正解を求める傾向があると言われるのもどこか納得できる気がする。でも、それでは結果は出ないよ、と言う話。なぜなら、結果はプロセスの前に置くべきものだから。先に結果を決め、その実現を信じ、必要な行動を起こす。常にこの順番。受験、就職、結婚、起業、新しいチャレンジをするときはいつも、不安な気持ちを乗り越えて「私がやるんだ」と自分の可能性を信じて腹を決めた時、初めてその扉が開く。
僕はそう信じています。
【ご参考】タグクラウド
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