【起業の経緯01】地獄の新人時代
本業コンサルティングの仕事
僕は普段コンサルタントとして会社員をしている。
毎朝起きて、出社して、仕事して、帰宅して。最近は在宅ワークの割合も増えてきているが、これといって特別なことはなく、一般的な会社員の生活をしている。
新人時代は仕事が全然できなくて、病んだ。毎週月曜がつらくて仕方がなかった。毎朝お腹が痛くなった。それでも、会社には行かなければならないので、行き続けた。そんな生活が日常となり、時は過ぎ、会社も変わり、今の会社にも徐々に慣れ、気づけば15年経つ。我ながら、よく続いていると思う。
コンサルの仕事はクライアントの課題を解決することが仕事である。仕事は基本的にプロジェクト単位で運営される。案件が決まれば会社中から適材適所の優秀なリソースを集めて、プロジェクトを組成する。プロジェクトのマネジメント陣は、プロジェクトの目的達成のために必要だと思える人材をかき集めて最強のチームを結成しようとする。逆に言えば、必要だと思われない人はプロジェクトからお誘いされることがなくなり、暇になる。暇なのにお金もらえていい身分じゃないか、と思うかもしれない。この気持ちはその立場にならないとなかなかわからないかもしれないが、結構辛い。だから、社員側も緊張感を持って自己研鑽に励み、プロジェクトに入った後も、頑張る。そういうシステムになっている。
他には、プロジェクトごとにクライアントも仕事の内容も、一緒に働く人もガラッと変わるため、慣れない働き始めの頃はこのシステムに適応するのが難しい人が多いのも特徴だ。プロジェクトが変わるたびにこれまでの経験、知識、人間関係がゼロリセットされるのだ。全くの無力化。丸腰の素人。若手や他業種から転職で入るとこれがキツい。このシステムを理解できずに素早くキャッチアップできないと、徐々に暗黙の「使えないやつ」認定をされ出す。だから僕もプロジェクトが変わるたびに必死だった。プロジェクトの終わりが近づく度に恐怖を感じ始める。次のプロジェクトでもうまくやれるだろうか・・・と。
なぜそう思うのか。少し振り返る。
新社会人になって、どん底を味わう
僕は新卒で入った会社を一年で辞めている。人生で初めて心が折れた体験だった。会社がどうというよりも、僕が学生から社会人への変化に適応できなかったのだと思う。仕事というものが、社会というものが理解できていなかった。それでもメンタルを奮い立たせて朝早くから夜遅くまで、無理やり頑張り続けた結果、ある日会社に行けなくなった。朝、支度をしてスーツまで着替えたが、ソファから立ち上がれない。文字通り、立とうとしても立ち上がれないのだ。体が動かない。こんなことはこれまで経験したこともなく、何が起きているのか頭が追いつかない。はははっ、なんだコレ。声を出して笑った。そして、ゆっくり現実を理解した。メンタルを超えて体が出社を拒絶したことに。その日は諦めて、座ったまま会社に電話し、ありのままを伝えて休むことにした。時間を使って少し落ち着いた後に、家の近くを調べてメンタルクリニックに行くと「適応障害」と診断された。そして、そのまま休職に入り、その会社からは退職した。
大阪の自宅を引き払い、東京の実家に戻る。25歳にして実家での親との共同生活が始まった。はじめ、僕としては普通に過ごしていたつもりだったのだが、しばらくして違和感に気づいた。親と会話する時でも小さい声しか出せない。心が萎縮してしまっているのだ。それからというもの、自身がすっかりなくなってしまって、外に出るのも、友人に連絡を取るのも、当然会うのも無理だった。自分には価値がない。ずっと家でインターネットを徘徊する日々。まさにどん底だったが、親は何も言わずに普段通り接してくれた。2ヶ月ほどして、少しずつ回復してきた頃、転職活動を始めた。タイミングと縁あって、今の会社に拾ってもらった。
ちなみに今の会社には感謝しかない。感謝しかないのだが、前述の通り、割とドラスティックなシステムで運営されているため、僕も必死だ。まだ自信も完全に回復し切ってはいない。仕事のレベルは変わってないから、自信を持てるわけがない。
新しい会社でのリスタート
それでも仕事は始まった。プロジェクトに参画が決まり、右も左もわからぬまま働き始めた。前職に比べると労働時間は短くなったが、仕事を教えてくれる周りの人のスキルが段違いすぎて、先輩のPC操作を見ても早過ぎて何やってるか全くわからなかった。そして、ある先輩からは、暴言や嫌みを毎日のように浴びせられて、何度心折れそうになったかわからない。実際何度か心を折られた。それでも、前述のシステムのおかげで、新しいプロジェクトに入ればゼロリセットされ再挑戦することができる。社員の間では、運悪く相性の悪いプロジェクトに入って地獄を見ても、短距離走のように"息を止めて走り抜く"ことで環境を変えることができる、という励ましの意味なのか諦めなのかわからない言葉が流通していたのだが、実際心折れそうなときは僕も自分に言い聞かせて乗り切った。そんなことを今では思い出話として話したりもするが、まぁ十分トラウマではある。
その後、トラウマを振り払うように、新しいプロジェクトに入ると必死にキャッチアップに努めた。「使えないやつ」判定をされると、周りの人の対応が急激に冷たくなって、不利な状況になるからだ。実力も経験もない自分が、一度不利な状況に置かれたら、そのプロジェクトでの逆転はまず不可能。ゆえにアサイン直後が肝心だと悟り、周りからの期待値がまだ低いプロジェクト参画直後に焦点を合せて勝負をかけた。そのプロジェクトでは、無事に冷たい対応はされず、ようやく人並みに仕事ができたと思う。多分。そのプロジェクト以降は、新しいプロジェクト参画直後の2週間は全力でキャッチアップし、「2週間しか経ってないのに、割と把握してるね」と思わせる作戦を実行し続け、なんとかことなきを得ているが、あまり仕事を褒めたりしない文化なのかポジティブなフィードバックを受けることが少ないため、僕の勘違いの可能性もまだある。
コンサルタントを15年続けて思うこと
15年も続けていると、少しずつ仕事の全体像が見えるようになってきて、イチからキャッチアップするというよりも、これまで必死に作ってきた資料や思考、事例や戦友とも言える人たちとの繋がりなどが、点と点を結ぶように繋がっていき、仕事が少しずつだが加速度的に進めやすくなってくる。昔は目の前のタスクに必死で、タスクの締め切りや周りの期待値に胃をキュウキュウさせながら対応していたが、今では視野が広くなり、プロジェクトの中で誰がいつ何をするべきか、全体スケジュールのうちどう言う点に気をつけるべきか、そして、この後何が起きるかも解像度高く理解できるようになった。当時の僕からすると、全く予想だにしていなかったし、本当に驚いている。
当時は、なんで誰も仕事の仕方を教えてくれないのだろう、と思う時もあったのだが、今になって振り返ってみると、みんな手探りで仕事ができるポイントを言語化できている人自体が本当に限られているんだということに気づく。時代の変化ももちろんあるが、今はコンサルの経験だけでも、Techの経験だけでも、業務の経験だけでも全体像が見えないくらい、仕事が複雑になっているし大きくなっている。難易度が急激に上がっているんだと思う。
【ご参考】タグクラウド
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