【起業の経緯03】父との別れ
通り過ぎてはいけない感情
そんなことを考えて働いていたある日、父が亡くなった。
父は60歳を過ぎた頃に肝臓がんが見つかり、10年の闘病生活を余儀なくされた後に、自らの意思で治療を止めた。長年、教師の仕事を勤め上げてきた父は、12月のある日、治療を止めると決めたと家族に告げる時に、ポロッとこう言った。
「ほんとはさ、定年退職した後、退職金で悠々自適に旅行でもしようと思ってたんだけどさ、ほんと参っちゃうよなぁ」
その家族会議の4ヶ月後に、父は亡くなった。
父は何事にも誠実に向き合い、誰に対しても公平に接し、だけど自分が間違っていると思うことには妥協しない、地味だけど愚直で芯の強い人だった。愚痴や弱音もほとんど言わない人だった。弔問には、父を慕う人がたくさん来てくださった。学校の先生、教え子、近所の皆さん、碁会所のお知り合い。こんなにたくさんの人に慕われていたことに驚いた。僕が見ていないところでも、父らしく誠実に人と接してきた人生だったんだろうなぁ。父は囲碁が好きで、日曜日に近くの碁会所に行っていた。弔問にいらっしゃった方と少し立ち話をした。
「ついこの間打ったばかりでね、突然のことで驚きました。いつも気さくに話してくれてね、囲碁も強かったですよ」
と話して、少し寂しそうな表情をした。そんなエピソードも父らしいな、と僕は思った。
僕は父のことをあまり知らない。僕が三姉弟の末っ子だったということもあってか、親に気軽に話しかけてはいけないような遠慮が、小さい頃から僕にはあったような気がする。当時は距離感を作ってしまってごめんね、みたいなことを最近母は僕に謝ってくる。気まずいとか仲が悪いとかそういうことではなく、教師と生徒みたいな感じに近いかもしれない。二人で飲みに行こうとも思ったがなかなか言い出せず、結局実現できなかった。それでも、父の生き様を見て僕は何かを感じとった。そして、なんと表現すればいいのか、そこに大切な何かがあると直感した。なんというか、通り過ぎてはいけない違和感。ただ、それが何なのかがわからない。言語化ができない。そして、これからの人生を生きていく上で、それが決定的に大事な要素である気がした。
人生をかけて遺書を残す
それから数日して、僕は日常に復帰はしたものの、しばらく気持ちの整理に時間がかかった。父を失った悲しみと寂しさは想像以上だった。
がんは遺伝する、と聞いたことがある。それが本当かどうかはどちらでもいいのだが、祖父も同じ病気で亡くなっているので、全くの嘘ではないのかもしれない。
僕は改めて自分の人生の終わりについて考えた。晩年自分も同じくがんになるとしたらラスト10年くらいは闘病生活だろう。そうすると、元気に活動できるのもあと20年くらいか‥なんか、初めて自分の人生の終わりをリアルに数字で決めてみたけど、それだけでグッと気持ちが締まるね。あとは、その20年をどう生きれば後悔せずに生き切れたと言えるのかだよなぁ・・・なんて悶々と考えていた。しかもこれは寿命を全うした場合のベストケース。もっと早いかもしれない。そう思うと、僕が父のことをちゃんと知ることができなかったように、子供に同じ思いをさせたくないなぁという気持ちも同時に湧いてきて、このブログを書く理由のひとつになった。自分の嘘偽らざる気持ちと、日々何を考えて生きているのかを言葉に託して子供達へのメッセージにしようと思った。
僕が先に旅立つ時の置き土産を、今からちゃんと時間をかけて、手間ひまかけて、準備しておくっていうのも悪くないじゃない。
【ご参考】タグクラウド
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