終わらせなきゃいけないこと

子供が産まれると、生活は一変する。

一人目の子供であればなおさら、経験なんてない。それでも、やるしかない。

抱っこの仕方、お風呂の入れ方、おむつの替え方、ゲップのさせ方、寝かしつかせ方、抱っこ紐の付け方、ミルクの飲ませ方。

子供は自分で自分を守れないから、親が守らねばならない。子供は寝返りもうてないから、布団が顔にかかっただけで窒息するし、親の寝相が悪くて気付かぬうちに親に押し潰してしまう危険もある。無事に動き回れるようになったと思ったら今度はベランダに勝手に出ないように目を配らないといけないし、外に出れば転ばないように手をしっかり握っておかないといけない。

親は、予測不能な未来を予測し、万障繰り合せながら何があっても子供の命を健康を心を守れるように構えていなければいけない。

さらには家事である。炊事、掃除、洗濯、食材・備品の買い出し、週末の親戚との約束の調整、保護者コミュニティのやり取り、塾の体験授業など、週末のスケジュールは平日を超えるタフネスが求められる。

なぜいきなりこんな話をし始めたかというと、今やろうとしているバックオフィス業務のZero Touch化の目的の一つにこの「子育て世代が忙しすぎる問題」があるので、その話を書こうと思った。

我が家は子供が3人いて共働き家庭。今はもう子供達も大きくなってきているので前述のようなことはないのだが、我が家もやっぱり子供が小さい頃は文字通り夫婦揃って忙殺されていた。そして同じ頃、ひとりの社会人としても、少しずつ仕事を任されるようになってくるタイミングでもある。そうなると、子育て世代の親たちは自分の時間なんてほとんど取れないし、目まぐるしく変わる日々に対処しながら優先度を瞬時に判断して手を打っていかねばならない。子供の体調は変わりやすいし、言葉も通じない。時に感情をコントロールできずに子供を叱責してしまったり、夫婦でぶつかることもある。今振り返っても、子育てというのは仕事やビジネスに比べて相当難易度の高いことをやっていると思う。

家族と住んでいた時は、日中以降は時間が取れないので、朝少し早く起きて、朝のランニングをしながらオンライン英会話を30分していた。英会話の先生との会話で、「英会話はどれくらいやっているの?一日30分?なんでもっとやらないの?」と言われることもしばしばあり、そのたびにいかにその30分を捻出することが大変かを、少しイライラしながら拙い英語で必死に説明していたことを思い出した。

さて、我が家は2年前にマレーシアに妻と子供2人が移住した。移住したタイミングで娘は妻の実家に、僕はひとり暮らしとなった。ひとり暮らしになってみると、ガランとしたリビング、子供の声がしない静かな夜、予定の入っていない週末。全くの別世界だった。週末に予定がないだけで、時間が無限にあるかのような感覚になった。この時、初めて「ああ、俺は忙しかったのか・・」と、ようやく気づいた。

ダラダラ長くなりそうなので、まとめる。

僕は、まさにこれからの時代を担わんとする世代(=子育て世代とも重なる)が忙しすぎて余裕が持てないことは、日本の未来にとって甚大な損失であると考えている。彼らが自分のこと、大切な人たちのこと、目の前のことだけでなく、少し先の将来のことについて考えを巡らす時間が持てないということは、今まさに直面している課題を解決する時間も持てていないことを意味しているし、その課題はそのまま子供たちの世代にも引き継がれてしまうかもしれない。

冒頭に書いたような、”親の責任”としての家事や育児は、仕事を差し置いてでも最優先でやらなければいけないことである。しかし、仕事も家族の生活を支えるためにやらねばならないことである。その仕事も、本当に自分しかできない仕事であれば、やりたくて仕方がない仕事であれば、まだ納得も我慢もできるだろう。クライアントや社会に対して価値がある仕事であれば進んで残業もしよう。喜んで徹夜もしよう。しかし、誰も意思決定をしない会議、誰も見返さない資料作成、自動化されない定型・反復作業に時間を費やし、子供の授業参観を休んでまでしなければならない理由が即答できない仕事ならば、今すぐ止めなければいけない。それを強制される会社なら今すぐ飛び出さねばならない。なぜなら、僕らが今動かなければ、今声を上げなければ、今変化を起こさなければ、子供たちの世代に引き継がれ、同じ目に遭わせることになる。それだけは、絶対に阻止しなければいけないし、ようやくそれが実現できる時が来たのだ。

今の会社・組織・業務は、昭和時代から脈々と受け継がれてきたもので出来上がっている。経営の箱の下に営業、製造・開発、管理部門等があり、それぞれ階層化した組織が作られ、上司の指示に従って部下が仕事をする。管理職は部下の報告を資料に取りまとめて上司に報告する。見慣れた光景である。

しかし2026年以降、外部環境は激変する。従来通り同じ組織、同じ会議、同じ資料で経営される会社は到底生き残れない。なぜなら、情報はデジタル化され、プロセスは自動化され、アウトプットはAIが作るからである。圧倒的な生産性の格差が生まれる。生産性の格差は当然ビジネスモデル・コストモデルに直結する。これまでのビジネスは、社員数や売上規模が企業の信頼の指標となっていたが、それは労働集約性が前提になっているビジネスモデルだからである。”規模の経済”というやつが働く世界だ。しかしこれからは、このセオリーは通用しない。個人で一企業分のアウトプットを平気で出せるようになるし、人数が増えれば増えるほど事業単位の効率は下がる時代に突入している。その帰結として、少ない社員数でいかに高い売上・利益率のビジネスを生み出せるかが企業価値の指標となる。この、ちゃぶ台返しのような、反則的なほどの大きな外部環境変化がすでに始まっている。

そして、僕がPuRuthという会社でZero Touch Transformationというサービスで実現しようとしている世界観がまさにこれである。業務をゼロから設計し直し、最新のテクノロジーを駆使することで、これまでとは全く異なる経営基盤ができつつある。

経費精算、勤怠管理、営業管理、債務債権管理、これらバックオフィス業務は当然ながら全て人間のビジネス活動が起点となっている。にもかかわらず、今はシステムも業務も組織もその起点を捉えられていない。ZTTは、これまで点在していた人間のビジネス活動の情報を直接的にかつ丁寧につなぐことで、一本の線を導出する。なぜ売上が上がらないか、なぜコストが下がらないか、その結果を生み出した原因は、線を辿りさえすれば自ずと辿り着く。難しい話をしているわけではない、ごくごくシンプルな話をしている。隣のチームが離れすぎて、会社がでかくなりすぎて、歴史が積み上がりすぎて、当たり前が見えなくなっているだけである。

2026年、技術的な制約はもうない。知識的な格差も無くなった。あとはやるのか、やらないのか。問われているのは、ただそれだけである。

繰り返しになるが、最後に。

僕は自動化できる仕事は、一刻も早く、躊躇なく、全て自動化すべきだと思っている。そして自動化することによって創出された時間を、クライアントとの会話に、サービスの価値向上に、新規事業の検討に、悩んでいる部下の声に、家族との団欒に、将来を考える時間に割り当てられるようにするべきだと信じている。昭和から引き継がれてきた非効率な業務や会議や負債は、もう僕らの世代で一刻も早く精算しなきゃいけない。オーナー不在の議論や会議など、全て無くしていい。そんなものを無くしても誰も困らん。そんなことよりも、今この時、どこかで人知れず、目の前の仕事や家事育児に追われて、責任感に押しつぶされそうになっている父たちに。ゴールが見えず孤立して絶望している母たちに。子供の体調不良や学校行事に不安なく即座に反応できる時間的な余裕を、経済的なゆとりを、そして心の平安を、現実に生み出すことこそが今俺たちがやるべき仕事だろう。こんな課題を子供の世代にまで引き継がせてしまったら、それこそ末代までの恥である。

だからこの課題は、世界の誰がやらなくても、PuRuthが完成させる。時間はかけない。悩める彼らにとって、希望の光となるようなソリューションをつくる。それまでは死ねない。

追伸:

PuRuthはZTTのパートナープログラムを3月に開始した。このZTTソリューションに共感してくれた人・企業が、このソリューションをPuRuthのパートナーとして広げてくれることで、その分のフィーを契約が継続する限りお支払いするストック型の契約となっている。すでに複数の個人経営者から名門外資コンサルファームまで様々な個人・法人の皆様とのパートナーシップを結んで、一緒にバックオフィスのZero Touch化を推進しているところである。ちなみに、来週からはマレーシアにも売り込みに行く。

多忙な中でも、これから収入の柱を複数持ちたい、個人で稼げるようになりたい、起業したいとチャレンジしたい人はぜひ連絡して欲しい。
チャレンジする人を支えられる仕組みになるよう、これからみんなで一緒に育てていきたい。